インバウンド向け「3000円」喜多方ラーメン!

奥能登の大雨災害
「市内あちこち通行止めやら断水やらで大変ですが、わが家は被害を免れました。とはいえ復興復旧の動きが大きく後退してしまい、気持ちが落ち込みました。励ましのお便りが心にしみます」

私の友人が珠洲市で陶芸をやっていて、この度の大雨の状況を教えてくれた。5月に正月の震災のお見舞いに行ってきたときには、少しずつ復興しているものの、被災した人たちは商売再開に二の足を踏む話を聞いた。

「日本を守りたい。国民を守りたい。地方を守りたい。」と石破新総裁は演説したが、大都会と地方の格差は縮まるのだろうか。

喜多方ラーメンのルーツ源来軒に行ってきた
週末に2年振りに喜多方ラーメン源来軒へ。
喜多方ラーメンの基本はあっさりしたしょうゆ味。
麺は「平打ち熟成多加水麺」で太さ約4ミリ。
水分を多くしてじっくりねかせた麺は、コシと独特の縮れが特徴だ。
昭和の初期に源来軒の創業者、潘欽星(ばん・きんせい)さんが手打ちの支那そばを屋台で売りはじめ、さらに、麺やスープづくりを秘伝とすることなく積極的に公開したために、多くの弟子たちが現在の喜多方ラーメンを支えているそうだ。

3大ご当地ラーメンと言えば札幌、博多、喜多方。
人口5万人程度の山あいの町の産物が大都市の札幌や博多に肩を並べている。
コロナ前の観光客数は180万人(年)で、人口80万人の新潟市の観光客数とほぼ同数だ。

「蔵のまち喜多方」から「ラーメンの喜多方」へ
昭和40年代に「蔵」ブームがあり、「蔵のまち喜多方」は注目を集めてきていた。
昭和58年、県の観光連盟の仲介で日本交通公社の雑誌『るるぶ』で「蔵のまち喜多方」の観光宣伝を仕掛けることになり、それならば、とラーメンの紹介もすることに。
『るるぶ』で紹介されることで、観光客数は昭和50年で年間5万人だったのが、58年には20万人になったという。
その後「蔵のまち喜多方・老麺会」でラーメンマップを作り、「朝ラー」という言葉も喜多方から生まれた。

127軒あったラーメン店が80軒弱にまで減っている
喜多方ラーメンは創始者の「源来軒」、「坂内食堂」と「まこと食堂」が両横綱と言われていたが、まこと食堂は昨年9月に閉業。1965年創業の人気店「あべ食堂」も2021年に閉店している。ピーク時には127軒あったラーメン店が今や80軒弱にまで減っている。
このまま5年、10年経つとさらに厳しい状況になることは見えている。
また、普段の売り上げは、大型連休や夏休みなどと比べて約半分。
冬場はさらにその半分になるという。
実際、私も大型連休に行くことが多かった。

インバウンド向け「3000円」喜多方ラーメン
「今までと同じことをしていてはダメ。この取り組みを始めるにあたって我々が大事にしようと思ったのは地域密着であること、歴史にしっかりと繋がるストーリー性があること、地元のものを地元の一杯で感じてもらう。まずはそこからだ。」

地元の食材がこんなにも良いということをこのラーメンで知ってもらうきっかけを作りたいと商品を開発した「あじ庵食堂」江花さんは話す。
市の全面的なバックアップで、これから市内ではさらに良い小麦を作ることと畜産にも力を入れていくことになった。
地元産の食材100%になればこれは史上初のラーメンになる。
生産者からも「うちでも作りたい」という問い合わせが増えてきて、以前以上に意見交換の場が増えてきたという。
早くもバージョン2が楽しみだと江花さんは話す。

7月17日が『喜多方ラーメンの日』として、昨年正式に登録された
喜多方のラーメン店の駐車場や道路を走っている車、ツーリングのバイクは県外ナンバーがほとんどだ。
喜多方市は、様々な問題はあるだろうが、地方都市としては180万人もの観光客を集めて健闘している。
それでも、既存の観光資源は常に進化させていかないと陳腐化していく。

今日の新潟日報の一面は「新潟県の推計人口、10月にも戦後初めて210万人割れへ 対策急ぐも流出止まらず」だった。毎年2万5千人程度の人口流出が続き、加速していくそうだ。

「地方を守りたい」と言う石破新総裁には、地方にいたほうが「幸せ」や「豊かさ」を感じられる日本への第一歩を踏み出してもらうことを期待する。
そして、私たちも、人だよりではなく、新しい仕事を創り出し、「本づくりを通じて、人々の心と生活を豊かにする」を実現することで、微力だが地方を活性化していきたい。

       ※インタビューは東洋経済オンラインより

10月のテーマ  自社の原点を見つめ直そう!
木戸製本所は1949年(昭和24年)に私の父木戸新太郎が創業した。
1949年は第2次世界大戦が終わって4年後、日本がようやく復興へ歩み始めた頃だ。
新たに商売を始める人も多く、商売といえば帳面が必要で、帳簿を作る仕事を始めた。
帳簿という本を作っていたのだが、その本は、顧客名簿であり、売上台帳であり、金銭の出納帳だった。
つまり、お客様の商売を発展させていく道具としての本づくりが原点にある。
考えてみると、今も木戸製本所で製本しているカタログはお客様の商品をエンドユーザーに理解してもらい、購買者の生活が豊かになるためのアイデアを伝える道具だ。
徐々にその役割はスマホなどのデジタル端末にとってかわられていくが、まだまだ紙でしか伝えられないことは沢山あるし、紙からデジタルに変わった新しい情報伝達のデジタルブックのようなものも生まれてくる。
情報だけではなく感動も伝えられるのが本だ。

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